《フニャディ》に限っていえば、フニャディ家の人々が美化されるのは愛国的な観点からも当然で、彼らが先王を暗殺したなんて展開はもってのほかだ。まして、「マジャルの英雄たるフニャディさんち vs. ハプスブルクの王」といった構図を大々的に打ち出せば、1840年代には上演なんかできなかったのではないだろうか。 《フニャディ》の憎しみのベクトルはツィレイやガラといった「よこしまなマジャル人貴族」に向かっていて、国王ラースローは彼らに操られる弱い心の持ち主ではあるけれど、悪しき憎まれ役ではない(この点が彼の役回りの中途半端さの印象に結びつく)。彼は脆い心とかなわぬ恋ゆえにみずからの誓いの言葉に背き、みずからの死の引き金を引いてしまう。それがもうひとりのラースローの悲劇なのだ……《フニャディ》の中の王の死について今ではわたしはそういう解釈をしているんだけど、どうだろう。 #オペラフニャディ
わたしは最近までこの神罰説を聞いたことがなかったし、それ以上の詳細な記述もネットでは見つけられなかったので、「本当にそんな噂あったの?」と懐疑的な気持ちなんだけど、ラースロー5世の死はあまりにも突然だし、タイミングとしても絶妙だ。具体的な死因が解明されるまでは、人々が暗殺とか神罰といった、とりあえず納得できる理由を求めてきたのもわからなくはない(「真実」を求める者がいればこそ、それを意図的に作りあげる者もいることだろう)。
《フニャディ》に限っていえば、フニャディ家の人々が美化されるのは愛国的な観点からも当然で、彼らが先王を暗殺したなんて展開はもってのほかだ。まして、「マジャルの英雄たるフニャディさんち vs. ハプスブルクの王」といった構図を大々的に打ち出せば、1840年代には上演なんかできなかったのではないだろうか。
《フニャディ》の憎しみのベクトルはツィレイやガラといった「よこしまなマジャル人貴族」に向かっていて、国王ラースローは彼らに操られる弱い心の持ち主ではあるけれど、悪しき憎まれ役ではない(この点が彼の役回りの中途半端さの印象に結びつく)。彼は脆い心とかなわぬ恋ゆえにみずからの誓いの言葉に背き、みずからの死の引き金を引いてしまう。それがもうひとりのラースローの悲劇なのだ……《フニャディ》の中の王の死について今ではわたしはそういう解釈をしているんだけど、どうだろう。
#オペラフニャディ