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No.39 鴉の王 > 覚え書き #オペラフニャディ 2024-11-26(Tue) 09:20 編集削除
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1456年11月9日、フニャディ家の郎党がツィレイ・ウルリクを殺害する。フニャディ家の力を恐れた国王ラースロー5世は同月23日、貴族たちを引き連れてテメシュヴァールを訪れ、「フニャディ家の人々を今回の一件で罪に問うことはしない」と誓う。
王の真意は不明だが、フニャディ兄弟は王の誓いを信じたのか、それとも何か考えがあってのことか、王の呼び出しに応じてブダに向かい、逮捕される。1457年3月16日、フニャディ・ラースローは処刑され、兄弟の母エルジェーベトはただちに実兄ミハーイとともに反乱を起こす。
この反乱を鎮めることができないまま、同年11月23日、王はプラハにて急逝する。王の死因は現在では急性白血病と判明しているけど、以前は毒殺説や黒死病罹患説もあった……というのはよく知られた話。
そして当時、それとは別の噂も囁かれていたという。つまり、みずからの「誓い」を破ってフニャディ・ラースローの処刑を命じた王に対して、「誓い」のちょうど1年後のその日に神罰が下されたという内容だ。
この噂が自然発生的なものなのか、それとも「後付け」なのかはわからない。ただ、オペラが盛んに上演されていた当時、「噂」の存在が歴史上のエピソードとして広く認識されていたのなら、《フニャディ》第二幕の王の宣誓のシーンは、第四幕(全三幕のバージョンでは第三幕)でのフニャディ・ラースローの死だけでなく国王ラースローの死をも暗示することになり、演出上とても重要な意味をもつことになりそうだ。
#オペラフニャディ