はねやすめ

No.178, No.177, No.176, No.175, No.174, No.173, No.1727件]

言い忘れていた。シグマの敵に対する敬意と声も格好いい。ヒムは……、

このあと出番があるとはいえ、ヒュンケルとの一騎打ちの戦いにおける扱いがあまりにも適当で笑ってしまう。もう少ししたら獣王遊撃隊の一員にされたうえにヒムちゃん呼ばわりされることになるとは当時の読者のだれも想像しなかったに違いない(ハドラーの意志を受け継いで覚醒&仲間入りするところまではあるいは予想できた人もいたかもしれないけど、獣王遊撃隊入りを予想するのはさすがに無理じゃないかな……)。畳む
#ダイの大冒険

No.178 そのほか #ダイの大冒険

ダイ大70話まで観た。

アルビナスの戦闘形態が格好いいし、彼女との一騎打ちはマァムというキャラクターの良さが凝縮されてる。わたしが思うマァムの魅力は、傷ついても前に出て戦うことと、咄嗟の機転で戦局を逆転させるところだ(チームの司令塔的役割はレオナに持っていかれちゃった感があるけど、フレイザード初戦やこのアルビナス戦での閃きはマァムならではだと思う)。そんな彼女の存在がいまいち薄いと感じられるのは、少年漫画としてダイとポップの成長に焦点が当たりすぎているからだろうか。まだ考えがまとまりきらないけど、どこか不遇なキャラクターだと思う。畳む
#ダイの大冒険

No.177 そのほか #ダイの大冒険

現在、52,161文字。
進んではいるけど進まない。

No.176 鴉の王 > 創作と進捗

現在、51,659文字。
第二幕①途中。盗人稼業から足を洗うと宣言するヴェセルカと、それを受け入れられないロージャの口論。実際のヴェセルカ・イムレが刑期を終えたあとで農民に戻っていった話と、裁判での供述の食い違いで二人が対立した事実を土台にしている。

No.175 鴉の王 > 創作と進捗

ダイ大68話まで観た。ポップのこと。

本編を読んでいたころは甘っちょろい描写全般がいやで、ポップが自分の恋する相手の名を告白してしるしを光らせるという展開が好きじゃなかった。大魔王を倒すという公的な目的のために、だれそれが好きという私的な告白を強いられているように思えたし、好きな女の子の名前を明かしただけで僧侶呪文を習得するのもありえないと感じた。以下は、最近になってこの場面について考えていること。

ポップの魂の光は勇気だけど、これはシンプルに「だれそれが好きだと告白する勇気」ではないはずだ。なぜならポップが直前まで悩んでいたのは、「自分は選ばれし人間ではなく、アバンの使徒にふさわしくないのではないか(だから、しるしを光らせることができないのだ)」ということだったからだ。
この考えはしるしが光らないことで初めてポップの意識に表出したけど、おそらくは元々ポップの中にあった感情じゃないかなと思っている。ロモスで一度逃げ出してしまった経験も、もしかしたらその劣等感を後押ししたかもしれない。マァムに自分の思いを打ち明けられなかったのも、そうすることでアバンの使徒としての仲間との結びつきが壊れてしまうと感じたからだ。フレイザード編のあとで「好き」の代わりに「すばらしい仲間」と言い替えたのも、きっとそういうことだったんだろう。
死に瀕したメルルに懇願されて「マァムが好きだ」と宣言し、結果的にしるしは光ったけれど、そう宣言すること自体が鍵だったのではないはずだ。メルルがポップへの思いを打ち明けられなかった理由を聞いたポップは、自分もまたメルルと同じであることを受け入れた。そして、マァムへの思いを口にすることで「選ばれし人間ではない」自分がアバンの使徒としての居場所を失うかもしれないという恐怖に向きあい、そして居場所を失うことを恐れる自分自身に勝った。
勇気というのは、何も恐ろしい相手に立ち向かっていくことばかりを意味するわけじゃない。自分の醜かったり卑屈だったりする内面を認めることも勇気だろう。戦いを通じて成長していたポップが乗り越えるべき最大の恐怖は、今や大魔王ではなく自分の内面の弱さだった。わたしは最近ではそういう見方をしている。畳む

#ダイの大冒険

No.174 そのほか #ダイの大冒険

ダイ大62話まで観た。

若き日のアバンと、破邪の洞窟前編。「勇者アバン」でのロカのイメージは、本編アニメのロカの声よりももう少し高いというか若者らしいイメージを持っている。アバン、ロカ、レイラの声優さんのみ変更して「勇者アバン」もアニメ化してほしいなあ(ヒュンケルはどんなもんなんだろう)。フローラさまを演じている声優さんは、若いころも現在の女王になってからもどちらの演技も自然で似合っていると思う。それにしても破邪の洞窟の、女の子だけでわちゃわちゃやっているの好き。畳む
#ダイの大冒険

No.173 そのほか #ダイの大冒険

ダイ大60話まで観た。久しぶりやな!

黒の結晶の爆発、バランの死。自分に駆け寄ってきたダイに、仲間はみんな無事なのかと尋ねるバランにはやっぱり「心」があるのだと思う。ただバランは死後もダイの心に呼びかけたり、姿が登場したりするので、読者視点からすると死の喪失感というものはあまり感じない。そのせいかあのあたりの演出にはちょっとぴんと来ないところがある。畳む
#ダイの大冒険

No.172 そのほか #ダイの大冒険

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